「さぶ」(山本周五郎)①

栄二の立ち直りが、本作品の読みどころです

「さぶ」(山本周五郎)新潮文庫

若くして腕のいい職人栄二は、
ある事件がもとで
石川島の人足寄場へ送られる。
夢を砕かれ自暴自棄になる栄二。
だが、寄場での
さまざまな人間との交流の中で、
頑なだった栄二の心は
次第に溶け始める…。

全438ページの長編ですが、
おそらく一気に
読み終えてしまうでしょう。
難しい表現がなく、
そして物語に
引きずり込まれてしまうからです。

一言で言えば、
青年・栄二の心の成長物語です。
若くして腕のいい経師
(屏風やふすまなどを
表装する職人)の栄二は、ある日、
親方から出先の大店・綿文での
仕事の交代を命じられます。
綿文での仕事中、
盗みを働いたという
疑いをかけられてのことです。
それがもとで、栄二は
人足寄場(幕府の設置した
軽罪人の自立支援施設)に
送られてしまいます。
しかし、大店での盗みは
栄二の仕業ではありません。
そのため、
栄二は人間が信じられなくなり、
寄場では心を
固く閉ざしてしまうのです。

人生を棒に振りかけた
栄二の立ち直りが、
本作品の読みどころです。

一つは寄場の人間たち。
与平をはじめとする同じ部屋の仲間、
そして同心・岡安喜兵衛。
栄二とどのようなかかわりをするかは、
ぜひ読んで確かめて欲しいと思います。
中でも喜兵衛の言葉は胸に迫ります。
「おまえは気がつかなくとも、
 この爽やかな風には
 もくせいの香が匂っている、
 心をしずめて息を吸えば、
 おまえにも
 その花の香が匂うだろう、
 心をしずめて、
 自分の運不運をよく考えるんだな、
 さぶやおすえという娘のいることを
 忘れるんじゃないぞ」

もう一つはそのさぶとおすえ。
さぶは本作品のタイトルとなっている、
栄二を慕う不器用で愚直な青年職人。
おすえは栄二に心底惚れている娘。
この二人が足繁く寄場に通い、
栄二を支えているのです。

安っぽいドラマであれば、
一つのきっかけで
主人公が一瞬のうちに改心し、
立ち直るのでしょうが、
本作品はそうではありません。
いくつもの人との関わりを通し、
少しずつ栄二の心が
変容していくようすが
丹念に描かれているのです。
最後には、
「おれは島へ送られて
 よかったと思ってる、
 寄場でのあしかけ三年は、
 しゃばでの十年よりためになった」

感動場面が
いたるところに盛り込まれた
青春人情時代物の傑作です。
さすが山本周五郎。
中学生にも大人にもお薦めです。

※栄二は最初、
 身に覚えのない盗みで
 人生が狂わされたと嘆きます。
 栄二の立場に立てば同情できます。
 しかし、冷静に考えると、
 寄場送りになった罪状は、
 盗みの疑いのためではありません。
 栄二が泥酔して
 綿文に怒鳴り込んだあと、
 再び店に訴えに上がったからです。
 今でいえば営業妨害もしくは
 脅迫ととられても仕方ありません。
 栄二が出所後もこのことを
 正しく受け止めていない点には
 違和感を覚えるのですが、
 作品全体から受ける
 感動の前では些細です。

(2019.10.3)

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